何かの役に立てるか、という想いで

2017年11月21日更新

(画像と本文は関係ありません)

【元井麻子さん/会社員】

 

2015年9月10日、豪雨により鬼怒川が氾濫している姿をテレビで見て、とても衝撃を受け、人ごとと思えず何か出来る事はないかと調べてみたら、茨城県常総市まで1時間半で行けることがわかりました。水害がとてもひどく、すぐにはボランティアの受け入れが始まらず、氾濫から13日目にようやく現地に行く事が出来ました。

ボランティアに行く前に「せたがや災害ボランティアセンター」に行って、初めて『ボランティア保険』に加入しました。常総市のホームページを確認しても、現地に行かないと、どのようなボランティアがあるのか、わかりませんでした。始発に乗って、朝6時半にボランティアの受付場所に着きましたが、すでに何百人もの人達が集まっていました。1時間くらいバスを待っている間に、受付が終わり、あとから来たボランティアの皆さんは帰されていました。

市役所からバスで移動し、小さなお寺に着きました。そのお寺が地域の災害ボランティアセンターになっていて、地域の方の要望に答えるための、とても大切な拠点となっていました。スコップや土をはこぶ台車も用意されていました。各家庭から依頼があり、ボランティアコーディネーターの指示でボランティア先に向かいます。私のグループはリーダーの20代の男性、19才の男子大学生、30代の女性と私の4人でした。

指定されたお宅までは5分くらいですが、地図をもらっても初めての場所で、道も田畑も泥やゴミで通行止めになっていて、何人もの方に聞いてようやくボランティア先のお宅に着く事が出来ました。とても立派なお家でしたが、一階の床は全てはがされていました。
「流れてきた泥を取り除いてほしい」との事でしたが、被災から13日経っていたので、泥はとても重く、粘土のように固まり、流れてきたじゅうたんや食器、植木鉢のほか、魚やカエルなどもいました。でもそんな事も気にせず、ひざの高さまで積もった泥を必死に手で取り除きました。きれいに剪定されていたお庭も、水害ですべて泥を被ってしまいましたが、家の方とボランティア4人で取り除き、本来の庭の土に戻すことができ、ホッとしました。

気を張っていたのでその日は全く大丈夫でしたが、次の日は体中が動かなかったです。訪ねた先のご家族は、家も車も失い、精神的にも体力的にも限界を過ぎ、毎日片付けに追われる日々を過ごしていると思うと、申し訳ない気持ちになりました。私達ボランティアを温かく迎えてくれた家の人に「少しでもきれいになるよう頑張りますので、少しでも体を休めてほしい」と何度も伝えました。「みんな初めて会う人達でそれぞれが違う場所からボランティアに来ている」と伝えたら、お父さんはとっても驚いて何度も何度もお礼を言ってくれました。東京では朝から晩までテレビで被害の様子が報じられていましたが、おばあちゃんは「テレビが見られず情報がなくて、今、どうなっているのか全く分からないのよ」と言っていました。次回は新聞をもって差し上げようと思いました。

私自身、行くことで何か役に立てるのかという想いでしたが、感謝されたときはとてもうれしかったです。現地では体力仕事だけでななく、食器の泥を洗い流したり、壁を拭いたりと、女性や学生ができることもたくさんありました。無理のないように、一度ボランティアをしてみて、他の人に伝えていくことも大事だと思いました。